弱視者の身体的・精神的特性 川口常雄

弱視とは

弱視とは,一般にわずかに見える程度から両眼での矯正視力が0.3までのものをいいますが,教育的・医学的・社会的立場においても多少流動的です。また,弱視を残存視力の程度により,重度弱視(指数〜0.04未満:準盲ともいう)と軽度弱視(0.05〜0.3)に分けることがあります。その分ける根拠は,視力の程度による見え方の違いや視覚的活動・視覚的経験の多少にも関係しますが,点字を使用するか普通文字を使用するかということにあります。

視覚障害者の中で70%以上は弱視者が占めていますが,その実態を十分理解してもらえないのが現状です。つまり,弱視者は視力や視野,夜盲(周囲が暗くなると極端に見えにくい)や羞明(明るいときまぶしくて見えにくい)の有無,疲労度など,障害の種類や程度によって見え方にも個人差があるため大変理解しにくく,弱視者同士でさえも自分以外のものについては分かりにくいと言われています。

視覚障害が弱視者(児童・生徒)に及ぼす影響

(1)弱視児は視力が劣っているため,晴眼児が知覚できるものが知覚できなかったり,ぼんやりとしか見えないため,視覚が不正確になり,視経験の量を不足する。
・細かい部分がよくわからない。
・大きい事物では全体把握がむずかしい。
・全体と部分を同時に把握することがむずかしい。
・境界がはっきりしない。
・立体感が不十分である。
・知覚する速度が遅い。
・眼と手の協応動作が悪い。
・晴眼児ならそれほど注意をせずに見える事物に注意を集中したり,過去の経験と照らし合わせて,知能を働かせて,正しい知覚をしようとする。
・ある年齢になっても絵本やテレビに興味を示さないことがある。
・文字の読み書きについても,形の似た文字を混同したり,行を読み違えたりすことがよくある。
 例 あ−お る−ろ げ−ば ぬ−ね
   わ−れ ち−ら
・書く字も不正確になりやすい。

(2)行動面への影響
(a)一歩一歩注意深く歩く,何となく危なっかしく,時に障害物につまずく。
(b)遊戯や作業中,ものにつまずいたり,ヒョコンと飛んだりする。野球などに困難を感じたり,また,遠くのものを見たり,ごく近いものを見たりすることの必要な遊びが容易にできない。(c)目的物にうまく手が届かない。視線が目的物に向いていないことがある。
(d)眼を使うとき顔をしかめることがある。
(e)光に対して大変敏感であったり,逆に鈍感であったりする。色に対して区別が困難なことがある。
(f)読書するときは本を眼に近づけるが,ときどき距離を変えることがある。長く読書をしていると読み方が下手になる。読書中に神経質的な緊張を示すことがある。

(3)個性への影響(中間集団としての弱視)
(a)弱視児は視力という点から晴眼児と盲児との中間的位置に当たり,あたかも青年期が児童期と成人期の中間的存在のように中間集団としての特性を持つ。
(b)弱視集団は晴眼児集団からも盲児集団からも除外され,どちらの集団からも周辺的集団となる。また,中間集団としての弱視は,ある場合は晴眼児集団に含まれ,ある場合には盲児集団に含まれたりする。このように集団としての弱視は不確定・不安定な立場にある。
※不安定な心理
・大変刺激されやすい。
・ささいなことでも自我が傷つけられ,感情の変動が著しくなる。
・バランスのとれない行動になりやすく,活気に満ちたかと思うと内気になったり,攻撃的になったりする。
・喜びとゆううつ,自愛と自己嫌悪,希望と絶望などがうらはらに存在し両極端な行動が見られることがある。
(c)晴眼児に対する劣等感と盲児に対する優越感を持つ。
・できるだけ晴眼児らしくふるまい,盲児として扱われることを好まない。
・盲児に対するいじめになったり,好ましい形に発展すればよきリーダーとなる。

「見えにくい世界とは」 弱視者の体験談から

(a)近所でも“愛嬌がいい”と評判だった私。その日も元気に「おはようございます!」すると,そのおじさんは私の方を見るばかり。「変だなー?」と思いつつ足早に通っていくと,後ろから「毎度おなじみの………」,なんとそれはちり紙交換のおじさんだったのです。私はてっきり近所のおじさんだと思っていたのです。それからは気後れがして気軽に挨拶ができなくなってしまいました。
(b)コップが上を向いていると思ってビールを注いだのに,そのコップは伏せてあって大失敗。(ガラスは透明なので,そこにあることは何となく分かっても,形や向きまでは分かりにくい。)
(c)図書館でのことです。掲示板に休館日について書いているらしい。高いところにあるので詳しい内容が読めない。カウンターへ行って「休館日はいつですか?」と尋ねる。係りの人は,「あそこに書いてあるでしょう」といった。大体のことは分かっても,細部にわたっては見えないのだということを,いくら説明しても分かってもらえず弱ってしまった。
(d)ハサミ90円! 随分安いなあと買ったら900円だった。3と8の見まちがいはよくあることだが,1桁も違えてしまった。商品の価格の表示は大体字が小さすぎて難儀する。
(e)「あの花きれいね」といったら,「花は見えるのに,どうして字は見えないの?」といわれてしまった。
(f)授業に遅れて教室に入った。そこは真四角の教室で,どちらが前やら後ろやらサッパリ分からない。しかたなくやみくもに座ったら,何と先生の隣だった。
(g)友人数人が新聞を見ながら話していた。僕は離れたところからは何も見えないので,彼らと一緒にのぞき込むことができない。後で何が書いてあったか尋ねたら,みんなは弱視の友人がそばにいることなど意識になかったとみえて,雰囲気がすっかり白けてしまった。
(h)バスの中でお金を落とすと,『落ちましたよ』といってくれないように願ってしまう。お金をなくすことよりも,見つけられないのに探し回るのは恥しい。この前お金を落として探していたら,『コンタクト落としたの?』といわれてしまった。そっと拾って渡してもらったりすると本当に嬉しいしホッとする。
(i)「すみません。梅田までいくらですか?」「あら,そこに書いてあるじゃないの」「眼が悪いものですから」「まあ,どうしてメガネかけないの?」「はあ……」
(j)先日,あるグループに私は一人で参加しました。皆さんとはもちろん初対面です。はじめは普通におしゃべりなどをしていたのですが,私が目が不自由だと紹介されたとたん皆さんの対応の仕方がすっかり変わってしまいました。急に必要以上に細かいところまで気を配って下さり,帰りなどはほんのわずかの距離もしっかり手を取って手引きされ,こちらが戸惑ってしまいました。自分の見え方を説明する余地もなく,気後れしてしまったのです。
(k)ある時,初対面の方とご一緒することがありました。その方は,視覚障害者関係の仕事に携わっておられる方で,一緒に歩き出したとき「手引きは必要ですか?」とさりげなく尋ねて下さったので,素直に「いいえ結構です。」と答えることができました。その後の行動はとてもスムーズに運び,私も必要なことはあっさり協力をお願いすることができました。
(l)普段あまり行き慣れないバス停で夜,単眼鏡で来るバスを見ていたら,中年のおばさんが「兄ちゃんカッコエーねえ。」と声をかけてきた。少しおしゃべりをしているうちに,バスの系統を教えて下さったり,いろいろ気を配って下さるようになった。何となくほのぼのとした一時であった。
「私達はまったく見えないのではありません。近ければそこに人がいること,花が咲いていること,物があることが認識できます。よく知っている人なら雰囲気や声から誰であるかが分かりますし,目を近づけて見たことのある花は,次からははっきり見えなくても美しいと感じることができるのです。私達は五感に経験をプラスして暮らしていると言えるでしょう。」